(このレジュメは下記のPodcastの収録時に使用したものです。音声と一緒にお楽しみください!)
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基本情報の整理
事例:私とバンド活動
- 小学生のときに、担任の先生が弾いていたことをキッカケに、アコースティックギターを弾くようになる。最初は『ギター・マガジン』を買って、そこに掲載されているカンタンなスコアで一人で楽しんでいた。【個人の中で完結するアクティビティ】
- 中学校に入ると、クラシックギター部員との交流や、公園で集まって友達が歌いたい曲をギターで演奏するようになるなど、他者とのコミュニケーションが発生した。自分が好きな音楽だけではなく、他人を楽しませるために練習するようにもなる。【他者と交流するためのアクティビティ】
- 高校に入り、軽音楽部に入部。校内・校外のバンドとの交流が活性化する中で、他のバンドとの比較(対バン文化)に晒されていく。自身が恒常的に相対化されて評価され、自分もその空気を構成する一員となっていく。(「自分たちのバンドはこうあるべきだ」「あんな音楽をやっているバンドはダサい」など)【自己を相対化し、互いに評価し合うアクティビティ】
- 大学に入ってバンド活動はしなくなったが、30歳を超え、ひょんなことから同世代のバンドに参加する。そこには、比較対象は存在せず、それぞれ自分たちが楽しむための空間があった。【趣味としてのアクティビティ】
変化:個人の中で完結 → 他者との交流 → 自己を相対化し、互いに評価し合う → 趣味
思春期にバンドをやることで形成されたもの
【仮説】思春期にバンド活動を行うことで、音楽や、あるいはバンドやアーティストという活動主体に対する過剰な評価目線が形成されるのではないか。
- 思春期は、多感な時期であり、自意識がとても高い。自分が他者からどう見られているか、という感覚に敏感になっている。
- 高校バンドというのは(基本的に)誰かの音楽を借りて自己表現を行う、ということであり、そこでどんな音楽を選ぶか、どんな演り方をするのか、それによって他者からどう見られるか…という自己評価・自己批判的な視点が育つ。
- そのまなざしは他者にも向けられ、他のバンドを見たときに、その音楽や演奏、スタンスにばかり目が行くようになってしまう。
音楽を聴く姿勢への影響
このまなざしによって、一般に流通している音楽を聴くときも、素直に音そのものを聴くのではなく、以下の点にばかり注意が向いてしまい、音楽を評価的に捉えようとしてしまう。
- 何から影響を受けているか(既に誰かがやっていることなのでは?)
- 演奏の技術はどうか(上手/下手、自分が練習してできるかどうか、など)
- 音楽に対する向き合い方(売れようとしているのでは?)
- (ライブにおいては)練習してきているかどうか、その日のライブをどう捉えているか
大人になってやる趣味としてのバンド活動で気づいたこと
大人になって、趣味としてのバンド活動に参加し、以下の気づきを得た。
- 他のバンドとの相対評価がない。
- 上手くやることではなく、楽しむことが主目的になっている。
- (当たり前として)バンド活動よりも優先するものがある。
これを経て、中高時代から引きずっていた「音楽を聴く姿勢」が薄れていき、自分の鑑賞態度がおだやかになっていることに気づいた。
議題の設定
思春期におけるバンド活動の効能
上記の事例を踏まえ、中高時代にバンド活動をすることが、私たちにどのような影響を与えたかを論ずる。
- 【論点例 1】思春期という時期の特異性(Keywords: 自我、自意識、アイデンティティ、エゴ…)
- 【論点例 2】自身の思春期におけるバンド活動を振り返る
- 【論点例 3】それが音楽を聴くとき、あるいはバンドやアーティストという活動主体を見るときの価値観や感情にどう影響しているか
- 【論点例 4】バンド活動から離れていく中で、そのまなざしに変化を感じたか